2月 24, 2011

革命、革命、革命

リビアの情勢が反政府軍優勢に傾いてきているようです。

エジプトに続いて革命が成功する可能性が高まってきました。

ただ、仮に革命が成功したとして、それで国民の生活が良くなるかどうかはまた別の話。
また新たな独裁者が出てくる可能性のほうが高いです。
(そもそも、カダフィ大佐だって当時の独裁者をクーデターにより倒した人物で最初はとても支持されていた)

革命は目的ではなく、一つのツールである。
目的はあくまで平和で公平な社会を作ること。
のはず。

僕が住んでいるグアテマラでも、大統領が変わっては汚職をして亡命。また変わっては汚職をして亡命。
というサイクルがよくあるそうです。

これじゃ、平和で公平な国になる訳が無い。
(ま、サンフアンは平和ですけどw)

日本も仕組みは違えど、根本的には同じ事が言えます。
いくら中央政府の頭をすげ替えても、何も変わりません。

なぜなら、権力と既得権益が中央に集中し、その中では真面目な人ほど損をするようなシステムが、がっちり出来上がってしまっているから。

しかし!
ここからは僕の希望的観測ですが、権力集中と既得権益の塊、中央官庁で働いているお役人の方々も、初めからそんなに悪い人間だったわけじゃなかったと思うのです。

僕の今までの経験から得た感覚で言っているので、明確な根拠は無いのですが。
確かな事は、人間は易きに流れやすい、ということと、環境が人間を良くも悪くもころっと変えてしまう。という事。

一般社会でも同じだとは思いますが、産まれた瞬間から悪い人間なんていません。
でも、例えばたまたま理不尽なシステムがすでに出来上がっているところに身を置いてしまうと、そこで生活しなければいけない状態になってしまうと、当然そのシステムに適応していく訳です。
なぜなら、その理不尽なシステムに適応する方が生き易いし、適応しないと生きにくいから。

ただ、それだけの話です。

どんな極悪人でも、産まれた瞬間から悪い人間ではありません。
生き物である以上、生きるために環境に適応し、
また、環境に適応できなければ滅ぶ。
滅びたくない(と思うのは本能なので、とくに言葉で説明はしません)から、人間はどんな環境であれ、まずは適応しようと努力し、また、適応出来なさそうだと判断してしまうと、自ら死を選んでしまったり、悪いことをしてその穴埋めをしてしまう。
(どんな人でも地球上のどこかに適応できる場所があるとは思うんですが)

人間も「生きる」という本能的な部分では、とても動物的な合理性があると思います。

話が逸れましたが、僕が言いたいことは、自分の生きてる間だけ、手の届く範囲を平和にしたいなら、そういうシステムを作り、システムに適合できないものを排除すればいい。
これは誰でもやることだと思います。

でも、誰にとっても平和で公平な社会にするということは、めちゃくちゃ難しいことで、何が難しいって、時代が変わっていっても平和と公平さを保つシステムを作るのが難しいと思うのです。

というか、たぶん無理です。

今生きている僕達に出来ることは、今の日本のシステムを自分たちの力でより平和で公平なものに変えること。
そのために、今できそうなことは、中央政府に集中している権力を少しずつ剥ぎ取って地方へ、民間へ、個人へ解放すること。

そしてその姿を子供たちに見せることで、自分たちが死んだ後に公平じゃなくなってきても、「社会って変えられるんだ!」という意識を持った人たちを増やし、また公平な社会に戻してくれるようにする。

そんな人間になるのが、僕の人生の目標ですねー。
って結局最後は自分の話にすげ替えてしまう僕の悪い癖です。

おやすみなさい。。。

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