3月 28, 2011

全部ツール。

資本主義の発展と民族意識は反比例すると結論付けたくはないですが、メキシコのサンフアンチャムラとグアテマラのトドスサントスクチュマタン、そして今回の旅で出会った多くの友達たち、過去の人類の歴史を踏まえると、どうしてもそう結論付けたくなってしまいます。

しかし、僕の結論なんてのは僕が勝手にそう思っていればいいだけのことで、なんの意味もありません。

大事な事は、メキシコ人も、グアテマラ人も、日本人も、どうすれば幸せに生きることができるか、各々考え、実行すること。

幸せに生きればいいんです。

資本主義自体が間違っている訳ではないし、核の技術も間違っている訳ではない。使い方を間違えてるだけ。
人と人との争いや殺し合いも、当事者達は間違っているとは思っていない。

悲劇が起こるのはいつも、力を持った人間が欲を肥大化させたとき。

子供同士のケンカから、家庭内の争いから、国同士の戦争まで。
全部一緒!難しい理屈なんてどこにもありません。人間の欲が原因です。

欲を満たすことは幸せでも何でもありません。
ただ、欲が満たされた。
ってそれだけの話。

何をすればいいのか分からないのは、何が幸せなのか分からないからでしょう。
何が幸せなのか分からないのは、今まで、欲を満たすことが幸せだと勘違いしていたからでしょう。

僕は、そう思います。

幸せは、愛し愛されることで、それ以上でもそれ以下でもなく、その他の有形無形あらゆる事、あらゆる行動、学問、哲学、仕事、趣味、衣食住、話すこと、聞くこと、人間の体、手、足、目、口、全てはそれを表現し、伝えるためのツールでしかありません。

2012年以降の世界は、円滑に愛を渡し、愛を受け取ることができる世界になると思っています。
また、そうでなければ生きていけない世界になるとも思っています。

僕は僕なりのツールを使って、愛を届けます。

サンフアンチャムラとトドスサントスクチュマタン

サンクリストバルの近くのサンフアンチャムラという村に行ってみたところ、とても珍しい民族衣装を着た男たちがたくさんいました。

お祭りだったようで、羊の毛をそのまま着たようなふわふわの民族衣装の男たちがたくさん!
あまりに素敵だったので写真を撮らせてほしいと申し出たところ、

「ダメだ」

と言われました。

それは突き放す様でもなく、淡々とした物言いだったので、僕は町内会みたいのでそういう決まりになったのかな?くらいに思い、

「わかりました」

と言って諦めて帰り、翌日はグアテマラのトドスサントスに向けて出発しました。


トドスサントスへ行く途中の道は山道なんですが、日本のように見通しが悪くなく、ほんとに気持ちの良い道です。

トドスサントスは男衆も民族衣装を着ている、おそらくグアテマラで唯一の村。

白と紫、青系のストライプのシャツに白と赤、オレンジ系のストライプのズボン。
ちっちゃめの麦わら帽子にソブレパンタロンという黒ウールの腰巻。

着いてみたら、ほんとに皆着てる!!

子供から大人までみんな似合うな~、と感心しつつ、半日くらい観察してましたw

おもしろいのは、おじいちゃん達はだいたい帽子も腰巻もフル装備。
若くなるにつれて着崩す人が多くなります。

おそらく10代半ばくらいから20代半ばくらいまでの人はおしゃれに敏感で、ズボンはたいていポケットの形がおしゃれだったり、縫製糸がカラフルだったり、後ろポケットにwranglerみたいな刺繍が入っていたり、細かい所をカスタムしています。

着こなし方も、マッチョな人はBーBOYのように太いシルエットで腰ばきに上着は無しでアメフトチームのユニフォームだったり、おっちゃんだとウェスタンカウボーイ風の帽子にウエスタンブーツでちょび髭だったり、見てて全然飽きませんw

でも、絶対上着かズボンのどちらかは着ていました。

若い男たちの着こなしを写真に収めたくて、そこらへんにたむろしているニイチャン達に声を掛けたところ、

「写真はダメだ」

正直、若い男に写真を断られるとは思ってもいなく、驚いてしまったのですが、数日前にメキシコ、サンフアンチャムラで写真を断られたことを思い出しました。

トドスサントスの若いニイチャン達も、サンフアンチャムラの男たちのように、誇りをもって民族衣装を着ているんだと。

衣装を纏う、根本を見た気がしました。

今、それを自分の中で消化しているところです。

それでは、また。

サンクリストバルデラスカサス

自分へのインプットインプットの処理処理処理処理でブログの更新が滞ってしまいました。
(処理速度が遅いっす)

だんだん、何か書きたい事がないとブログを更新しないようになってきましたね!いいことだ!

サンクリには予定よりも一日長く居たのですが、その間も何かしら脳みそにインプットされていたように思います。

ブログタイトルにあるように、ローカリズムを目指す上で、メキシコ、チアパス、サンクリストバルデラスカサスは避けては通れない場所であったはず。

なんたって革命的反グローバリズムの旗手とも言えるサパティスタの本拠地ですから。


なんですが、結局サパティスタ自治区に「行かなきゃ!」という衝動に駆られることはなく、行かずじまいになってしまいました。

サンクリに来たときからなんとなく感じていた安定した空気感。
が一番の理由と言えるかもしれません。

現地に行ってもいない僕の直感がどこまで正しいのかは読んでいる方に委ねますが、どのようにグローバリゼーションが進んでいくのかというテーマで世界各地の少数民族を取り上げている某フリージャーナリストの方の話を伺ったところ、

「サパティスタは一定の成果を上げた」

とのこと。


詳しくは書きませんが素直に、よかったな~と思いましたw

もちろん、世界中でグローバリゼーションが進んでいる現状は変わっていませんし、サパティスタ自治区がいつメキシコ政府(グローバリズム)の反撃を受けるかわからないという状態は変わりないと思いますので、安穏とはしていられないのですが。

少なくとも、マルコス副司令官の戦略通り、サパティスタは世界の注目を集め、グローバリゼーションからの攻撃を抑止することに成功している状態、とみていいと思います。


彼らはやるべき事をやり、成果をあげた。これは一つのわかりやすいモデルケースとして消化しましょう。


実は、それよりも印象的だったことがあったのですが、紙面の都合上次回に回します。

次回はサンフアンチャムラの男たちとトドスサントスの男たち!

アディオスアミーゴ!!

3月 21, 2011

ウエウエテナンゴ到着。


昨日は僕をサンフアンから弾き出してくれた、maya colopの家に泊めさせていただきました。

家族の歓迎を受けて、豪華な昼食に地元のサッカーチームの試合に連れていってくれたり、wiiでダンスしたりマリオカートしたりと、ケツァルテナンゴで最高のおもてなしを受けてしまいました。

どうもありがとう、身に余る光栄です。


しかし、あくまで今回の目的はトドスサントスクチュマタン。標高2300m、人口はたった2000人の村。

とりあえず今日はメキシコ方面と、トドスサントスクチュマタン方面、両方に出られる交差点のようなところまで来ました。

ウエウエテナンゴという町の、バスターミナル近くのホテルに荷物を置いて街をぷらついてみると、目的地トドスサントスクチュマタンのウイピルを着たおっちゃんを2,3人発見しました!

白地に青っぽいストライプのジャケット、襟と袖には細かい柄、オレンジ色のストライプのズボン、つばの短い麦わら帽子。

本では見たことあったけど、生で見るとやっぱりかっこいい!

こんなかっこいいウイピルがあるんだ、と心躍っておりますw


しかし、今月24日にグアテマラのビザが切れるので、やはり先にメキシコに出て、ビザを更新しておこうと思います。(長居したくなるかもしれないからね)

なので、トドスサントスクチュマタンに行くのはもう少し後。

明日はとりあえず、メキシコのサンクリストバル デ ラス カサスへ。

初メキシコ、楽しみです。

3月 17, 2011

エレカシが好きだったんだ


思い出しました。今。

中学校の時から好きだったんだなー。

以下僕の記憶の中のエレカシの歌詞より引用。

悲しみの果て(詞 宮本浩次)

悲しみの果てに、何があるかなんて

俺は知らない、見たこともない。

ただあなたの顔が、浮かんで消えるだろう。

涙の後には、笑いがあるはずさ。

誰かが言ってた。本当何だろう。

いつもの俺を、笑っちまうんだろう。


部屋を飾ろう、コーヒーを飲もう。

花を飾ってくれよ、いつもの部屋に。


悲しみの果てに、何があるかなんて。

悲しみの果ては、素晴らしい日々を送っていこうぜ。


引用終わり

日本の災害、原発事故のニュースで、月曜日は気が滅入りすぎて家に引き篭ってしまいました。

火曜日からはなんとか気持ちの整理をつけて、織物教室に行けました。

今日(水曜日)は、日本の友達がユーストリームDJやるから起きろというメールで起こされて(朝6時)踊らせてもらいました。

おかげで、少しだけ残ってたモヤモヤも吹っ切れてノリノリで織物を織ることができました。sharaken,MNB3000ありがとう!

織物の先生(マヤ系先住民)に、2012年に世界が終わるということを信じてますか?

と質問してみたら、全く表情を変えずに「もちろん!」

こちらでは半分くらいの人(お年寄りはほぼ100%)が来年世界が終わると信じています。

あまりのメジャーさに言葉を失ってしまいましたが、またあまりの自然体さ加減(それがどうかしたの?くらいの勢い) に自分も呑み込まれ、

「そうだよな、騒いだところで自然の流れには勝てねえよ。。。」

という気がしてきましたw

先生はいつもどおり糸を紡いで、観光客がきたら接客をして(今、日本人に教えてるのよー、とか言いつつ)

僕もいつもどおり機織りして、困ったら先生に助けてもらって。

帰りに食堂でランチを買って、ペプシコーラを買って、タバコを吸って。

素晴らしい日々を送っております。

今日変わったことと言えば、絵描きのアリッシャーの店で800円の絵を買ったことくらいです。

地球から火星と木星を間近に見た、2012年の絵。

頭の片隅に、いつか終わる世界を意識しつつ。

素晴らしい日々を送っていこう、ということなのかな。

よき日を。


3月 13, 2011

頑張ろう!

喜びも悲しみもシェアしよう。

家族と、恋人と、地元の友達と、遠くはなれた友達と。

被災者と、救助隊と。

ご先祖さまと未来を生きる子供たちと。

日本の自然と、生き物全てに宿るこころと。


こころを一つにしてみんなで乗り越えよう。

一人も欠けないように。



正しい情報を集めて、仲間と情報を交換して、精神を保つ。

冷静な頭で次に起こす行動を粛々と判断していこう。

刻一刻と状況は変わっていく。

たまには休息も必要だけど、

本当の休息はしばらく先になりそうだから、無理をせず。

精神を正常に保ち、冷静な判断をし続けることに集中しよう。


世界中が応援している。

これから産まれてくる無数の命が、今生きている僕達を応援している。

頑張ろう!

3月 08, 2011

天然染色に対する誤解

天然染色に関して偉そうなことを言える立場では無いのですが。。。

最近聞きかじったことで、目から落ちた鱗をブログに貼っ付けようと思いまして。


天然染料の染物というと、なんとなく淡い色というイメージがあると思うんですが、けしてそういう事ではないんですねー。
僕も勘違いしてました。

確かに淡い色の方が「何とも言えない色」感はあるんですが、それは敢えて薄い色にしてるか、何回も使った染液で染めたものか、適当な仕事の結果薄くなっちゃったかのどれかです。

ちゃんとした染料で、ちゃんと手順を守って染めれば天然染色でも濃く染まるんです!

そして、世界的に評価が高い染色というのは、濃い染色なんですね。


まぁ、淡い色が好きな人もいるので(僕もそうですが)悪いという話ではなくて、
「天然染色=淡い」は間違いということだけはっきりさせておきますw


ところで!

天然染色の好きな所は、やっぱりその土地で採れる染料で染められるということですね。
その土地でしか採れない染料があり、その土地特有の織り柄がある。

ローカル色がわかりやすいというか、食べ物や住居や音楽と同じようなものだと考えています。

伝統文化でもあるし、遊びを加えることもできるし、リミックスすることもできる。

そして、持ち運べるというのもいいですねー。
さすがにでかい機織り機は持ち運べないけど、腰機であればグレゴリーのリュックに入れてどこでも持っていけます。

持ち運びできる自己表現のツールとして、これから流行らないかなw

あー、明日が楽しみ。早くこないかな。

3月 07, 2011

みなこおばあちゃん


グアテマラに来て、なんだかよくわからないけど天然染色に興味をもって明日から手織を教わりに行こうという気になっております。

同時に9年前に亡くなったおばあちゃんのことをよく思い出します。

僕がものごころついた頃からずーっと、おじいちゃんと一緒に機織りをしていたおばあちゃん。

いつもだいたい糸車をくるくる回して糸を紡いでて、糸ができると織り機でばったんばったん反物を織っていました。

病気で入院するまで機織りしてたなぁ。

僕にとって、手紡ぎ手織=みなこおばあちゃん。

おばあちゃんが亡くなって、もちろんお葬式にも出席して、もうすぐ9年も経つのに、なんでか今だに実感がないんですよね。

たまに夢に出てくるし。

他の家族はどう思ってるかわからないけど、なんとなく僕にだけおばあちゃんが存在してると勝手に思ってますw

そんなみなこおばあちゃんがグアテマラに来てから、特にサンフアンに来てから、より存在感を増してきてますw

いい加減無視出来ないくらいの存在感なので、とりあえず明日手織を習う第一歩を踏み出そうと思います。

なんとなく、おばあちゃんが待っていてくれそうな気がして楽しみです。


3月 05, 2011

久しぶりにPCを開きました。

久しぶりのブログ更新ということで、近況を。

この一週間は天然染色の研修とKetzaliとの打ち合わせをしておりました。

前回の研修のメインは僕的にはカンペチェという染料で染める、紫&黒だったのですが、今回は何といってもコチニーヤの赤!

このコチニーヤがあるおかげで、僕は草木染めという言葉を使わずに、天然染色という言い方をするようになりました。

そう、コチニーヤは植物じゃないんですねー。

虫!ムシ!蟲!

サボテンにくっついているちっこい虫を乾燥させたものを煮出して、赤の色素を抽出するんですねー。
大昔からマヤ系先住民が使っていた赤の染料。鮮烈な赤です。

人体に無害の赤染料ということで、世界中いろんなところで使われているそうで、例えば誰もが一度は呑んだことがある、カンパリ、そして口紅となって世界中の女性に使われ、世界中の男を誘惑している赤だそうです。

研修の詳細はフェイスブックで実況的な感じでアップしてありますので、こちらをどうぞー!
あ、mixiのつぶやきでも見れますので、mixiの方はこちらからー!
デジカメの写真はネット上にアップする速度がめちゃくちゃ遅いのでなかなかやる気になれませんw

最近の僕のテーマ「衣食住+情報+エネルギー」

これらをローカルコミュニティでまかない、大量生産、大量消費をいい加減終わらせるライフスタイルモデルを作りたいなと思っております。

「衣」部門の重要な要素が天然染色と手織りというわけですね。


さて、Ketzaliの方は在庫の確認と在庫不足の商品の発注なんですが、いかんせん英語、スペイン語ともに下手くそなのでなかなか意志疎通が難しく、てこずっております。

さらに、欧米からの注文がガッツリ入ってしまい、生産が追いつかない状態。

日本への第一便はいつになったら発送できるのか?
なんとか今月半ばまでには送りたいですね。

日本でお待ちの皆さん、今しばらくお待ちくださいませ。

また、オーダーはいつでもお待ちしておりますw

今Ketzaliのwebshopがメンテナンスしているようです。
おそらく、品数が増えるのと、値段が従来の価格に戻されると思います。

でも僕にオーダーしていただければアメリカ値段完全無視でグアテマラから日本に直送しますので、
30%~40%オフの値段でお届けできます。
また、セレクトショップ、フェアトレードショップの方への卸売も承っております。


ところで最近、フェイスブックtwitterを使う頻度が増えております。
よろしければ、フォローお願いしますー。

アディオス!!

3月 01, 2011

人間とニワトリのアパルトヘイト政策


大家さんのはからいで、我が家の庭にフェンスが設置され野良犬と野良ニワトリが侵入できないようになりました。


一部フェンスの下が広いところがあって、そこからニワトリが入ってきてたのですが、そこは僕がブロックで封鎖しました。


犬と猫とは言葉が無くても、気持ちが通じてる気がするんですが、残念ながらニワトリとは分かり合えないという結論に至りました。彼らとは人間と家畜として付き合っていこうと思いますw


ヨーロッパ人が初めて北米、中米、南米、オーストラリア、アフリカの先住民達と出会い、この人たちとは分かり合えないという結論に至り、家畜のように扱ったのと同じ思考回路で僕の家でも金網が人間とニワトリを隔てています。


ヨーロッパ人がインディヘナ達を差別した気持ちが分かったのがとても良い経験だなー、と思います。



歴史好きの僕としては、織田信長がフランシスコザビエルと仲良くなり、ヨーロッパと対等に貿易を行えたのは、なにより通訳がいたことと、心がオープンであったということが要因だったのだと思います。


仮に通訳がいなければ、互いに理解する手段が無いため、どんなに心をオープンにしていてもヨーロッパの王様は「そんなもん武力で制圧しちまえ!!」と思ったことでしょう。

また、そうなったときに「いやいや、平和的に付き合っていきましょうよ」と交渉することは出来なかったでしょう。

逆に通訳がいても心がオープンでなければ、江戸時代にアメリカから来たペリーさんのように「カイコクシナサイー」と強硬姿勢になっていたのではないでしょうか。



さて、今の時代は昔と違って、通訳ができない文化というのはほとんど無いはずですが、やれ日本人が嫌いだの中国人が嫌いだのアメリカ人が嫌いだのニワトリが嫌いだのと言っているのはなぜでしょうかね?


見た目の問題というよりも、心の問題だと思うんですよね。


人種が違っても、わかりあえる人とはわかりあえるし、同じ人種でもわかりあえない人とはわかりあえない。


そして、本来わかりあえるはずの人でも、初めから心に壁を持っていたら分かり合えない。



その心の壁とは?


日本人からしたら、中国人が尖閣諸島を占拠しようとしてることであったり、

中国人からしたら、日本政府が靖国神社を参拝することであったり、

僕からしたら、ニワトリが土足で僕のランチョンマットを踏んづけていくことであったり。


何が言いたいかって、その心の壁ってのはいろんな思想(右翼とか左翼とか)を自分たちの都合で勝手に作り上げている政府やマスコミの情報操作によって刷り込まれていることが多いんじゃないかということです。


何度も言いますが、個人レベルでは人種が違っても、分かり合える人なんていっくらでもいます。

そして同じ人種でも分かり合えない人はいっくらでもいます。


分かり合える人達と分かり合って生活するのが一番幸せなんです。

分かり合えない人達とは距離をとって生活すればストレスはたまらないんです。


そこに心の壁となる、国同士の思惑とか、組織対個人の利害関係とか、個人同士の変なプライドとかを介入させて生活するとギクシャクするしストレスも溜まる。



この理論で言えば、誰でもストレス無く平和に暮らせるはずなんです。


大人になるってのは、会社で働くことでも家庭を持つことでもなく、ストレス無く生活できる環境を自分で作り上げていける人間になるということではないでしょうか?


家長になるということは、家族全員がストレス無く生活できる環境を作ることができるということ。


村長さんになるということは、村民全員がストレス無く生活できる環境を作ることができるということ。


ストレスの無い環境という事を言い換えると「調和」ということになるんだと思います。


今の時代、日本人でストレスが溜まって嫌だというのなら、どこにでも行けるし、何でも勉強できるし情報も自分で集めることができるんです。


調和を追求できない言い訳はどこにもないと思っています。


調和をとって生活していくことが人間にとって一番の幸せだと、言い訳をせずに幸せを追求していきたいと思います。


とりあえず、ニワトリが入ってこなくなって幸せですw