大家さんのはからいで、我が家の庭にフェンスが設置され野良犬と野良ニワトリが侵入できないようになりました。
一部フェンスの下が広いところがあって、そこからニワトリが入ってきてたのですが、そこは僕がブロックで封鎖しました。
犬と猫とは言葉が無くても、気持ちが通じてる気がするんですが、残念ながらニワトリとは分かり合えないという結論に至りました。彼らとは人間と家畜として付き合っていこうと思いますw
ヨーロッパ人が初めて北米、中米、南米、オーストラリア、アフリカの先住民達と出会い、この人たちとは分かり合えないという結論に至り、家畜のように扱ったのと同じ思考回路で僕の家でも金網が人間とニワトリを隔てています。
ヨーロッパ人がインディヘナ達を差別した気持ちが分かったのがとても良い経験だなー、と思います。
歴史好きの僕としては、織田信長がフランシスコザビエルと仲良くなり、ヨーロッパと対等に貿易を行えたのは、なにより通訳がいたことと、心がオープンであったということが要因だったのだと思います。
仮に通訳がいなければ、互いに理解する手段が無いため、どんなに心をオープンにしていてもヨーロッパの王様は「そんなもん武力で制圧しちまえ!!」と思ったことでしょう。
また、そうなったときに「いやいや、平和的に付き合っていきましょうよ」と交渉することは出来なかったでしょう。
逆に通訳がいても心がオープンでなければ、江戸時代にアメリカから来たペリーさんのように「カイコクシナサイー」と強硬姿勢になっていたのではないでしょうか。
さて、今の時代は昔と違って、通訳ができない文化というのはほとんど無いはずですが、やれ日本人が嫌いだの中国人が嫌いだのアメリカ人が嫌いだのニワトリが嫌いだのと言っているのはなぜでしょうかね?
見た目の問題というよりも、心の問題だと思うんですよね。
人種が違っても、わかりあえる人とはわかりあえるし、同じ人種でもわかりあえない人とはわかりあえない。
そして、本来わかりあえるはずの人でも、初めから心に壁を持っていたら分かり合えない。
その心の壁とは?
日本人からしたら、中国人が尖閣諸島を占拠しようとしてることであったり、
中国人からしたら、日本政府が靖国神社を参拝することであったり、
僕からしたら、ニワトリが土足で僕のランチョンマットを踏んづけていくことであったり。
何が言いたいかって、その心の壁ってのはいろんな思想(右翼とか左翼とか)を自分たちの都合で勝手に作り上げている政府やマスコミの情報操作によって刷り込まれていることが多いんじゃないかということです。
何度も言いますが、個人レベルでは人種が違っても、分かり合える人なんていっくらでもいます。
そして同じ人種でも分かり合えない人はいっくらでもいます。
分かり合える人達と分かり合って生活するのが一番幸せなんです。
分かり合えない人達とは距離をとって生活すればストレスはたまらないんです。
そこに心の壁となる、国同士の思惑とか、組織対個人の利害関係とか、個人同士の変なプライドとかを介入させて生活するとギクシャクするしストレスも溜まる。
この理論で言えば、誰でもストレス無く平和に暮らせるはずなんです。
大人になるってのは、会社で働くことでも家庭を持つことでもなく、ストレス無く生活できる環境を自分で作り上げていける人間になるということではないでしょうか?
家長になるということは、家族全員がストレス無く生活できる環境を作ることができるということ。
村長さんになるということは、村民全員がストレス無く生活できる環境を作ることができるということ。
ストレスの無い環境という事を言い換えると「調和」ということになるんだと思います。
今の時代、日本人でストレスが溜まって嫌だというのなら、どこにでも行けるし、何でも勉強できるし情報も自分で集めることができるんです。
調和を追求できない言い訳はどこにもないと思っています。
調和をとって生活していくことが人間にとって一番の幸せだと、言い訳をせずに幸せを追求していきたいと思います。
とりあえず、ニワトリが入ってこなくなって幸せですw