1月 26, 2011

手放しブームと今を生きる人達

最近僕のまわりで、にわかに手放しブームが来ているみたいです。

昔買って(貰って)今は使ってないけど、思い入れがあってなかなか捨てられなかったものなんかを、思い切って手放す!

という、言葉で言えばそれだけの話なんですが。

手放し祭、手放し市、物々交換会。名前は違えど最近そんなような趣旨のイベントがよくあります。(豊田、岡崎だけかな?)

かくいう僕も今回、日本を離れる前に自分のものをとことん処分しました。
服やら本やら写真やら雑貨やら。

中学生の頃からずーっと好きな、僕にとってかけがえのない音楽が入っているCD達も。

手放す前は軽くビビっていた喪失感もなく、単純にスッキリ清々しい気分でした。


人それぞれ、手放し理由は違うと思いますが、僕の場合は「今を生きやすくするため」って感じです。

モノにはその人なりの思い入れがあって、それはそれであっていいものだと思うのですが、思い入れが大きすぎると、知らず知らずのうちに視野が狭まり、心がとらわれてしまう事があります。

「心がとらわれてしまう」と本当に大切なことを忘れちゃったりしてしまうのです。

僕が自分で大事にしようと思っていることは「心の平穏」「中庸である事」「直感を信じること」「公平であること」「オープンな心」「ロックであること」、そんな感じです。

逆にそうならないようにしようと思う事は「先入観を持つこと」「悪い感情に突き動かされること」「ロックじゃない」、そんな感じです。

しかし、物に囲まれて生活していると、物(とそれにまつわる思い)を失うことを恐れるあまり、心が波立ったり、心を閉ざしたり、直感を無視してしまって、それで余計にバランスが崩れてしまったりと悪循環に陥ることがあります。

また、自分はこういう人間のはずだ、こう生きるべきだ、と決めてしまう基準はだいたい過去の自分の見たこと聞いたこと、経験に基づいていて、無限の可能性を自分勝手にせばめてしまったりと。


僕にとっては、モノを手放すことで「過去の自分の殻」から「今の自分の魂」を解放して、「今の自分」になれる。
なんか禅問答のようですが、伝わってますでしょうか?

そんなようなことで、「手放すこと」が今を生きる人達にウケているような気がします。


ところで、僕の経験として「今の自分」で「今を生きる」と、時間の感覚がおかしくなってきます。
過去がどうでもよくなってくるというか。


そして少しずつ、自分を俯瞰することで、自分と自分以外のあらゆるものがどこかで一つに繋がっているかのような感覚。


言葉で説明することが難しくて、このように言葉で説明しようとすると宗教っぽくなってしまいます。

だから、言葉だけでなく、生き方そのもので表したいというのが僕の秘めたる思いなのです。

こういう形に無いものを言葉で表すことは、野暮でかっちょ悪いと自分でも思うのですが(音楽で表現できたらかっこいいのにね~)、そこを敢えてチャレンジするのも、僕なりの今を生きるってことで!!

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